私は篠巻政利。七十九になりました。柔道に人生を捧げ、世界の畳で戦ってきた男です。ここでは、私がどうやって骨とつきあってきたか——その七十九年の話を、少しだけさせてください。
海辺の食卓
生まれは、千葉の南房総。海のすぐそばで育ちました。私の家の食卓には、いつも小魚が並んでいました。煮干し、めざし。頭から、骨ごと、丸ごと食べる。それが、我が家の当たり前でした。
子どもの頃は、なんとも思っていませんでした。けれど今になって振り返ると、私という人間の土台は、あの海辺の食卓で作られたのだと思います。骨を食べて、骨を育てる。理屈より先に、体が覚えていたのでしょう。
理屈より先に、体が覚えていた。
畳の上で気づいたこと
若い頃は、柔道に打ち込みました。稽古に明け暮れ、来る日も来る日も、畳の上で自分と向き合いました。
強い相手と組むたびに、私は考えました。強さとは、いったいどこから来るのか。筋肉か。技か。——違う、と思うようになりました。すべてを内側から支えているのは、いちばん奥にある骨だ。そう腹の底で理解したとき、私の柔道は、静かに変わっていきました。
世界の頂点へ
私が選んだのは、無差別級。体の大きさで分けない、いちばん過酷な階級です。自分より大きな相手を、幾度も投げてきました。そしてある日、私は世界の頂点に立ちました。
ミュンヘンの大会では、選手団長という重い役目も任されました。日本代表を背負って、世界の舞台に立つ。あのときの畳の感触は、今も足の裏に残っています。
監督に勧められたこともあり、学生の頃から、カルシウムだけは誰よりも摂ってきました。おそらく私は、日本でいちばん長くカルシウムを飲み続けてきた人間の一人です。それだけは、胸を張って言えます。
五十八の試練
人生は、平坦ではありませんでした。五十八のとき、私は左の足を失いました。柔道で世界を獲った、この体の一部を。堪えました。本当に、堪えました。
それでも——骨を大切にするという生き方だけは、一日も変えませんでした。むしろ、こういう体になったからこそ、残された体をどう支えていくのか、以前よりずっと真剣に考えるようになったのです。
一日も、変えなかった。
カルベールとの出会い
足を失ってからというもの、私は前にも増して、毎日をどう支えていくかを考えるようになりました。若い頃のように、激しく体を追い込むことは、もうできません。だからこそ、一日一日の小さな積み重ねが、これまで以上に大きな意味を持つようになったのです。
そんな頃、縁あって、カルベールという水を知りました。長年、誰よりもカルシウムを摂ってきた私にとって、それを始めるのに、特別な決心はいりませんでした。むしろ、しっくりきたのです。私がずっと信じてきた「骨に、毎日、材料を」という考え方に、まっすぐ重なる一杯でした。
これまで、いろいろな形でカルシウムを摂ってきました。けれど、何十年と毎日続けるとなると、いちばん大事なのは、続けられるかどうか、です。カルベールは、1日1回、コップ一杯。ただ、それだけ。無理がなく、気負いもいらない。だから私は、今日まで一日も欠かさず、続けてこられました。
それが、いちばん大事だった。
七十九の、いま
七十九になった今も、毎朝、変わらず続けていることがあります。カルシウムを意識した食事と、カルベール。ただ、それだけです。
特別なことは、何もしていません。派手なことも、無理なことも、一切していません。毎日、淡々と、体に必要なものを入れていく。それを、何十年も、ただ繰り返してきただけです。
毎日、淡々と。
毎日の積み重ね
骨は、毎日、少しずつ作り替えられていくのだそうです。だとすれば、その材料も、毎日いる。一日休めば、その分だけ、明日に足りなくなる。私がずっと信じてきたのは、たったそれだけの、単純な理屈です。
派手な近道など、どこにもありません。體(からだ)は、毎日の積み重ねでできている。それが、七十九年かけて骨とつきあってきた、私の、たった一つの結論です。
※本ページは、篠巻政利さんご本人の語りをもとに構成しています。内容は個人の経験・考えであり、効果を保証するものではありません。
※カルベールは食品(ミネラルウォーター/カルシウムイオン飲料水)であり、骨密度の改善や疾病の治療・予防を目的としたものではありません。